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21/12/23 第7回(2005)中山グランドジャンプ 海外からの参戦馬

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*第7回(2005)中山グランドジャンプ (Result)

〇 優勝馬:Karasi / カラジ (IRE) (Pedigree) (Racing Post) (racing.com)

騎手:Brett Scott 調教師:Eric Musgrove

オーストラリア調教馬。元々はイギリスMichael Stoute厩舎にて平地競争馬としてデビューし、イギリスでは下級条件戦で計3勝を挙げました。1999年にオーストラリアDavid Hall厩舎に移籍。徐々に力をつけると、2000年のAdelaide Cup (G1)にて2着、2000年及び2001年のBrisbane Cup (G1)で3着、2001年のMelbourne Cup (G1)で4着に入るなど、なかなかの良績を残していました。平地での重賞勝ち鞍としては2001年のHolden Geelong Cup (Listed)が挙げられます。G1戦線でも良績を残した2001年と異なり、2002年からは平地競争で大敗が続くようになり、2002年の春には故障で1年間の休養に入ります。2003年にEric Musgrove厩舎に移籍すると、同年からはHurdle競走に参戦。同年9月のVictoria ParkにおけるCarlton Draught Hurdleを勝利すると、2004年にはMorphettville競馬場のLukcy Horseshoe Gaming Hurdleを勝利。さらにOakbank競馬場のClassic Hurdle、Ladbrokes Park HillsideのAustralian Hurdle、Morphettville競馬場のGrand National Hurdleなどのオーストラリア障害競馬の主要Hurdle競走を次々と勝利します。さらに2004年の7月には初のSteeplechaseにも関わらずMoonee Valley競馬場のHiskens Steeplechaseで3着に入り、障害馬として飛躍の一年としました。そして満を持して来日したのがこの2005年ですが、上記2004年のHiskens Steeplechaseを最後にオーストラリアで障害競馬に出走することはなく、完全に目標を中山グランドジャンプに定めてレースを使っていたようです。当時のオーストラリア障害競馬におけるトップホースの一頭であったにも関わらず、1年の全てを賭けて日本障害競馬に挑戦してきた馬と言っていいでしょう。ニュージーランド出身のBrett Scott騎手の風車鞭をトレードマークに、2005年から2007年にかけて中山グランドジャンプ3連覇を達成しました。4連覇を掛けて来日した2008年は残念ながら来日後に屈腱炎を発症、そのまま引退となってしまいましたが、引退決定後にはJRA主導でファンからのメッセージを募集するなど、遠征先の日本でも多数のファンを獲得した名馬です*1。このようなKarasiのサクセスストーリーはEric Musgrove調教師のホームページに詳しく記載されています。ここには興味深いエピソードが多数記載されており、例えばMorningtonのHurdle初戦では飛越に苦労し、飛越の度に後れを取っていたという、中山におけるKarasiの卓越した飛越からは考えられないエピソードも記載されています*2。障害初戦ではこれほどまでに飛越に苦労していた馬を稀代の名障害馬に育て上げた、Eric Musgrove調教師を始め、陣営の障害馬育成技術の素晴らしさを物語るエピソードでしょう。オーストラリア国外への遠征としては日本のみとなった同馬ですが、2005年の記事を読むと、中山遠征後においてEric Musgrove調教師はアメリカIroquois Steeplechase (G1)にも興味を持っていたようです*3。ただし、残念ながらアメリカ遠征は結局実現しませんでした。オーストラリアからの遠征馬としての中山グランドジャンプ3連覇は世界の競馬史に残る唯一無二の記録として燦然と輝くものであり、その偉業を讃え、Karasiは2018年にオーストラリア競馬の殿堂入りを果たしています*4。今でもこの名声はオーストラリア競馬史に深く刻まれており、オーストラリア障害競馬中継では頻繁にこの"Karasi"の名前を耳にしますね。特にこのKarasiの勝負服は"Karasi Colours"と呼ばれていたり、Karasiが競馬場にお披露目に来ていたり、今なおその存在感は絶大です。

オーストラリアMelbourneの郊外に位置するCranbourneに拠点を構えるEric Musgrove調教師はオーストラリアで最も成功した調教師の1人であり、ビクトリア州Grand National Steeplechase、Grand Annual Steeplechase、Great Eastern Steeplechaseといったオーストラリアの主要障害競走を多数制しています*5。2021年現在も現役で調教師を続けており、2020年のビクトリア州Grand National Hurdleの勝ち馬Gobstopperを送り出すなど、今でもオーストラリア障害競馬の第一線で戦い続けています。Brett Scott騎手はオーストラリア障害競馬のチャンピオンジョッキーで、Grand Annual Steeplechaseを計4回、Great Eastern Steeplechaseを計5回制すなど、オーストラリア、ニュージーランド、日本で目覚ましい活躍を挙げましたが、2011年にYarra Valley競馬場における落馬による大怪我が原因で騎手を引退、調教師に転身しています*6*7*8。2021年の3月に馬に頭部を蹴られて昏睡状態に陥りましたが、その後無事に回復。同年5月にはWarrnanboolのMay Carnivalにおける主要競走であるGalleywood HurdleをThe Statesmanで勝利し*9*10、オーストラリア障害競馬で一定の成功を収めています。Galleywood Hurdleは師にとっては騎手時代に勝てなかったレースであり、大事故からの復帰という意味でも非常に嬉しい勝利になりました*11。ちなみに2021年の5月には、Great Northern Steeplechaseを制したReal Tonicをはじめ*12、かつての名コンビであるJohn Wheeler調教師とBrett Scott元騎手のツーショットと思い出話に花を咲かせた記事も掲載されましたね*13

Karasiの父Kahyasiは日本でも繋養された*インドブルボンの産駒で、2008年のWorld Hurdle (G1)の2着馬で平地でもPrix du Cadran (G1)で2着に入るなど、Hurdle及び平地兼用で活躍したKasbah Blissを始めとする多数の活躍馬を輩出しています。その後継種牡馬も多数存在しますが、その中でも存在感があるのがKhalkeviという馬で、2021年のHaldon Gold Cup (G2)の勝ち馬Eldorado Allen、2020年Prix Troytown (G3)の勝ち馬Ebonite、2021年のGrosser Preis Des Cross-Club Maienfeldの勝ち馬Beaumar等、多数の活躍馬を送り出しています。ただし、Nijinskyから分岐した系統の中では、その産駒の活躍は勿論のことIndian River、Maresca Sorrento、Saint Des Saints、Buck's Boumといった成功した大種牡馬を送り出したCadoudalを擁するGreen Dancer、そしてLomitas、Alfrora、Assessor、Hernandoといった成功した大種牡馬を有するNiniskiの系統に比べると、この*インドブルボンの系統自体はやや小粒で、この*インドブルボンの系統における2010年以降の主要障害競走勝ち馬はほぼこのKahyasiのラインに偏っています。

 

〇 6着 Sphinx Du Berlais / スファンクスデュベルレ (FR) (Pedigree) (France Galop)

騎手:Fabrice Barrao 調教師:François-Marie Cottin 

フランス調教馬。カタカナ表記するとどうにも日本人にはよくわからないのですが、アルファベット表記だとなんともフランス出身馬らしい名前です。2002年の9月にHurdleデビュー。2002年の秋は3歳Haies(Hurdle)のG1路線に参戦し、Prix Cambaceres (G1)では勝ったRoyaleetyから20馬身離れた4着に入ります。当時の2着馬がその後障害種牡馬として活躍するNicknameですね。2003年にはEnghien-Soisy競馬場のPrix Durtain (Listed)で重賞初勝利。どうやら早い時期からSteeplechaseにも色気を持っていたようですが、落馬もあったりした影響なのか、2003年の秋には4歳HaiesのG1競走であるPrix Renaud Du Vivier (G1)に参戦し、上記Nicknameから7馬身離れた4着に頑張りました。同年代のHaies路線においては上位の存在であったと考えてよいでしょう。その後もAuteuilやEnghien-Soisy、Cagnes-Sur-Merの重賞戦線をHaies / Steeplechase織り交ぜながら戦い続け、2005年1月にはCagnes-Sur-Mer競馬場のGrande Course De Haies De Cagnes (Listed)で重賞2勝目。次走のGrand Prix De La Ville De Nice (G3)でも2着に入り、この年のCagnes-Sur-Mer競馬場の主要競走ではトップクラスの活躍を見せました。ちなみに同レースの3着馬はお馴染みのDom Lyphardですね。さらに3月のAuteuilのPrix Juigne (G3)では比較的僅差の6着に入り、そこから来日しました。ここまでのフランス調教馬の中では唯一AuteuilのG1クラスでも好走歴があるようにやや格上の存在であり、良馬場も比較的得意としていたようですが、中山では好位から進めるも伸びきれず、勝ち馬から1秒ほど離れた6着に終わりました。中山遠征後は休養に入ると思いきや春のAuteuilの重賞戦線に参戦し、春のAuteuil競馬場の大一番、Grande Course De Haies D'Auteuil (G1)で4着に入る好走を見せました。このように、中山への遠征はこの馬としてはキャリアハイの状態での参戦だったかもしれません。その後もEnghien-Soisy競馬場のPrix Journaliste (Listed)の勝利や2006年のGrand Steeplechase De Paris (G1)への参戦をはじめ、12歳となった2011年まで現役生活を続け、通算で106戦10勝という成績を残したなんともタフな馬です。どうにも所属厩舎が現役生活中で何度か変わったようで、2003年の中山グランドジャンプに参戦したTiger Groomを管理していたRobert Collet厩舎に所属していた時期もあるようですが、中山参戦時はFrançois-Marie Cottin厩舎に所属していたようです。François-Marie Cottin調教師はフランスChantillyに拠点を構える調教師で、近年では2016年及び2017年のGrand Prix D'Automne (G1)を連覇したAlex De Larredya、2008年のGrand Steeplechase De Paris (G1)を制したPrincesse d'Anjouなどを管理した、フランスを代表する障害調教師の一人です。Fabrice Barrao騎手はこれがTy Benjam、Escort Boy、Owayに続く4回目の中山グランドジャンプ参戦。Sphinx Du Berlaisの父Nikosに関しては2002年の記事をご覧ください。

 

〇 落馬 Fontera / フォンテラ (NZ) (Pedigree) (Loveracing.com)

騎手:Craig Thornton 調教師:Kevin Myers

ニュージーランド調教馬。平地競争では目立った実績はなかったようですが、2003年からHurdleに挑戦すると、順調に勝ち上がり2004年にはWaikato Hurdle (PJR)でPJR初勝利。その後はGrand National Hurdle等のPJR路線に参戦するのではなく、主にOPN HDLを使ったのみで来日しました。2005年のペガサスジャンプステークスではいきなりバローネフォンテンから僅差の2着に入り、本番でも単勝式5.2倍の3番人気と人気を集めましたが、残念ながら落馬に終わりました。そのまま2005年はニュージーランド障害競走を使うことなく2006年も再度リベンジを賭けて来日しましたが、残念ながら2006年もまたもや落馬に終わったようです。その後はニュージーランド障害競馬に戻り、Steeplechaseへの参戦を含めて通算23戦6勝という成績を残しました。馬のポテンシャルとしてはPJRクラスでの活躍を見込めたような感もありますが、PJRクラスへの参戦は上記Waikato Hurdle (PJR)のみであり、この馬のキャリアとしてはかなり中山グランドジャンプへの挑戦に重きを置いていたような印象があります。比較的良馬場での活躍もある馬で、もしもう少し大型の障害への経験を有した状態で中山に参戦していたら、もしかすると結果は変わっていたのかもしれませんね。ちなみにこの"Fontera"という名前はニュージーランドの乳業会社"Fonterra"からつけられたものであり、これ自体はアイルランドの迷信として競走馬の名前は8文字ではなく7文字の方が縁起が良いということだそうです*14。Kevin Myers調教師は近年でもニュージーランド・オーストラリアGrand National Hurdle / Steeplechaseを制したオセアニア競馬史に残る名馬Tallyho Twinkletoeを管理し、ここ数年のニュージーランド障害競馬ではぶっちぎりのリーディングを独走している調教師ですが、2001年から約20年もの間メディアの取材を受けないことで知られており、その沈黙を破ってニュージーランド障害競馬の状況に関するコメントを発した際は大きなニュースになりました*15*16。Craig Thornton騎手は2002年にSt Steven中山グランドジャンプを勝利した人。詳しくは2002年の記事をご覧ください。Fonteraの父Kingsttenhamは日本でもお馴染みのNureyevの産駒。FonteraはこのKingsttenhamの代表産駒ですが、他にも2004年ニュージーランドMcGregor Grant Steeplechase (PJR)の勝ち馬Kia Kingを送り出しており、ニュージーランドStud Book*17を見る限りかなり産駒数は少ないようですが、その数少ない産駒の中からも障害競馬で成功した馬を送り出しているようです。