Grand National (G3)は、4月の上旬にイギリスのAintree競馬場にて行われるイギリス障害競馬における最高峰の競争です。ハンデキャップ競走であるためG3の格付けになりますが、その賞金額・名誉・世界的人気・馬券の売り上げなど、全ての面で平地競争を含む世界中の全ての競馬の中でもトップクラスの水準を誇ります。距離は約7000mと障害競馬における世界最長距離に近く、飛越する障害の数は合計30、そしてその全ての障害が障害競馬における世界最高クラスの難易度を誇るものであり、完走においては世界最高水準の飛越技術・持久力・精神力を要求する競走となっています。最大出走頭数40頭という他に類を見ない多頭数により馬群が密集して進行することも相まって、全ての面において障害馬としての総合的な能力が問われる究極の障害競走とすら言っても過言ではないでしょう。イギリス国内におけるこのGrand Nationalの人気は凄まじく、Grand National Dayのチケットはレースの前の年に発売が開始されますが、めぼしいスタンドのチケットは一瞬にして売り切れてしまいます。その馬券の売り上げも桁違いで、2019年の売上は推定3億ポンドとすら言われています*1。
なお、出走馬は登録馬の中からレーティング上位の最大40頭、その内訳は殆どがイギリス又はアイルランド調教馬となります。日本からは1960年台に中山大障碍を4連覇した伝説的な障害馬フジノオーが1966年に参戦しましたが、第15障害の"The Chair"で途中棄権に終わりました*2*3。近年では海外の主要開催で日本調教馬が活躍することはもはや珍しいことではなくなっており、かつてジャパンカップに数多くの海外調教馬が来日し、日本調教馬と同等以上に渡り合った時代を知る人間からするとその日本競馬の進歩は隔世の感すらありますが、それから60年余りが経過した2022年4月現在においてすら、障害馬として海外遠征を実現したのは未だにこのフジノオーただ一頭となっています。当時の記録を丁寧な取材に基づいて記載したのが以下の書籍で、当時の日本国内における障害競馬の状況や、"Grand National"に対する当時の日本国内の認識を知るうえでは非常に参考になるかと思います。
〇 そしてフジノオーは「世界」を 飛んだ (三賢社)
Grand Nationalの起源には諸説ありますが*4、公式の競争として行われたのは1839年で、The Nunという10歳の牝馬がAllen McDonough騎手を背に勝利したそうです*5。そこから世界大戦による1916~1918年*6及び1941~1945年、並びにCOVID-19による2020年の中止を経て、2022年には第174回を数える非常に歴史のある競走となっています。
その間には、"Do a Devon Loch"と言われる慣用句の語源となった1956年の謎の事件*7、現在"Foinavon"と呼ばれている障害がそのように呼ばれるようになった理由である1967年の衝撃的な多重落馬*8*9、1970年台にGrand Nationalを3勝した伝説的名馬Red Rum、余命数カ月の精巣癌から回復したBob Champion騎手と安楽死寸前の重傷を乗り越えてきたAldanitiのコンビが勝利した1981年*10、False Startによりレースが無効と判断された1993年...... この約2世紀ほどの年月において、Grand Nationalに纏わる多様で劇的なエピソードが数多く生まれており、それらはこの競走が積み重ねてきた歴史の重み、そして"Grand National"の世界の競馬文化における重要性をを雄弁すぎるほどに物語るものでしょう。
1989年以降のGrand National (G3)の映像はイギリスJockey Clubの公式Youtubeアカウントが全てアップロードしています。
〇 Greatest Grand Nationals (Youtube)
また、このブログでは2015年以降のGrand National (G3)の出走馬及び結果について短評を記載しています。以下のカテゴリーの記事を参照してください。
〇 トップ > イギリス・アイルランド競馬 >Grand National (にげうまメモ)
"Grand National"という名を冠した競走はイギリス・アイルランド各地に存在し、その全てが24ハロン以上の超長距離が設定された各地を代表するハンデキャップ競走となっています。イギリスではChepstow競馬場で行われるウェールズ地方最大の競走であるWelsh Grand National (G3)やAyr競馬場で行われるスコットランド地方最大の競走であるScottish Grand National (G3)が特に有名ですが、他にもUttoxeter競馬場で行われるMidlands Grand National、Catterick競馬場のNorth Yorkshire Grand National、Sandown競馬場で行われるLondon Nationalなど、多数の競争が存在します。これはアイルランドでも同様で、Fairyhouse競馬場で行われるIrish Grand National (Grade A)を筆頭に、Listowel競馬場のKerry National (Grade A)、Limerick競馬場のMunster National (Grade A)等の競争が存在します。
また、所謂「グランドナショナル」は世界各地に存在し、スウェーデンのSvenskt Grand National、オセアニア各地の"Grand National Hurdle / Steeplechase"、アメリカのGrand National Stakes (G1)、日本の中山グランドジャンプ (G1)等、それら全てが各国の障害競馬における中心的な競走として君臨しています。また、現在では"Grand Steeplechase de Paris"と呼ばれるフランス最大の障害競走も、1874年に創設された際は"Grand National de France"と呼ばれていたほか*11、ベルギー最大の障害競走である"ING Grote Steeple-Chase van Vlaanderen"も通称"Belgian Grand National"と呼ばれたり、2000年台前半を最後に行われていないものの、元々ノルウェーØvrevoll競馬場においてはノルウェー最大のSteeplechase競走である"Norsk Grand National"が行われていたりと*12*13、この「グランドナショナル」と呼ばれる障害競走は世界各地に存在しています。
従って、「グランドナショナル」といっても必ずしもAintree競馬場の"Grand National"を指すわけではないのですが、このシリーズでは、イギリスAintree競馬場で行われるGrand National (G3)を"Grand National"と呼称していることに留意してください。
*イギリス障害競馬体系と"Grand National"
イギリス・アイルランド障害競馬は"Hurdle"、"Chase"、"National Hunt Flat"の3カテゴリーに分類されており、Grand National (G3)は"Chase"に属する競走です。"National Hunt Flat"とは将来障害馬を目指す若馬のための平地競争で、一般的に"National Hunt Flat"からキャリアをスタートさせた競走馬は"Hurdle"に転向し、さらに飛越技術の向上とともに"Chase"へとその活躍の場を移していきます。"Hurdle"とは小型の障害を使用した競走、"Chase"は上の2枚目の写真のとおり、"Hurdle"に比べて大型の障害を使用した競走ですね。"Hurdle"や"Chase(Steeplechase)"等の詳細については以下の記事を参照してください。
〇 21/09/16 障害競馬入門② - Hurdle / Steeplechase - (にげうまメモ)
一方で、Grand National (G3)では通常のChase競走とは異なる特殊な障害を使用します。"National Fence"と呼ばれるこの障害は、比較的柔軟な素材で作られたFenceの上部に最低14 inches(約35cm)の高さでトウヒの枝を積み重ねたもので、馬はトウヒの枝を掻き分けて飛越することが可能となっています。この障害はAintree競馬場の通常のChaseコースとは異なる特殊なコース、"National Course"にしか設置されていない特殊なものであり*14、年に5回、11月~12月に行われるBecher Chase (G3)とGrand Sefton Chase、及びGrand National Meetingに行われるTopham Chase (G3)とFox Hunters' Chase、そしてこのGrand National (G3)でのみ使われています。
イギリス・アイルランドの障害競馬は、大きく分けて"Hurdle"及び"Chase"に対して2マイル(16ハロン)戦、2マイル4ハロン(20ハロン)戦、3マイル(24ハロン)戦が存在しており、そのそれぞれに対して"Novice"クラス*15が付随します。各カテゴリーにおいてはそれぞれCheltenham FestivalにおけるG1競走を頂点とした路線が設置されていますが、このG1競走を頂点にした体系とはやや異なる位置に3マイル超のハンデキャップChase競走の体系が存在します。この辺りをより明確にしたのがアイルランド障害競走で、アイルランド障害競馬におけるG1~G3は全て定量戦(又は別定戦)である一方、ハンデキャップ競走はGrade A~Cという格付けになっています。この3マイル超のハンデキャップChase競走の路線にはAintree競馬場のGrand National (G3)の他、例えばWelsh Grand National (G3)、Scottish Grand National (G3)、Newbury競馬場のLadbrokes Trophy (G3)、アイルランドのIrish Grand National (Grade A)といった競走が存在し、いずれもハンデキャップ競走であることからG1競走ではないものの、一般的なG1競走を凌駕する名誉ある競走となっています。
イギリス障害競馬のG1競走は定量戦、G2競走はハンデ差を抑えた"Limited Handicap"競走、G3競走はハンデキャップ競走であることを踏まえると、このGrand National (G3)における出走馬は、24ハロンChase競走のG1戦線を戦ってきた馬に加えて、24ハロン~24ハロン超のハンデキャップChase競走を戦ってきた馬が主となります。特に、Grand National (G3)は約4マイル2ハロンというイギリス障害競馬の中でも最長距離が設定されること、通常のChase競走で使用する障害よりも遥かに難易度の高い特殊なNational Fenceを飛越することから、G1クラスで必要なスピード能力よりも持久力と飛越技術に掛かる比重が大きいことが特色であり、出走馬としてもそのような能力に自信のある経験馬が多くを占めることになります。従って出走馬は比較的高齢馬に偏りがちであり、障害馬として長いキャリアを通じてその飛越技術を磨いてきた馬が、そのキャリアで積み重ねてきたものの全てを賭けて挑んでくるのがこのGrand Nationalという競走です。Grand Nationalの出走馬の中にはそれこそオーナーが毎日のように騎乗していたというような馬も存在し、関係者が長年家族のように連れ添った大切な馬とともに挑むこのGrand National、関係者のこのレースに賭ける意気込みは並大抵のものではありません。なお、もちろん通常のChase競走と同様にNoviceクラスの馬でも出走は可能ですが、2016年の覇者Rule The Worldを除いてあまり良績はありません。
なお、以下のコラムでは完走率に基づき各国障害競馬の性質の比較を試みています。誰も得をしない考察ですが、適宜ご参照ください。
〇 22/01/15 完走率に基づく各国主要障害競馬の性質 ④ - Cross Country / National Fence - (にげうまメモ)
*Grand National Meeting
Grand National (G3)は4月上旬のAintree競馬場において3日間に渡って行われる"Grand National Meeting"の最終日のメインレースとして行われます。この3日間の開催ではGrand National (G3)の他にもイギリス障害競馬における各路線の中心的なG1競走が多数行われ、多数の有力なイギリス調教馬が出走します。ただし、アイルランド調教馬は基本的に4~5月に行われるPunchestown Festivalが大目標であるためあまり出走頭数は多くはなく、どちらかというと出走馬はイギリス調教馬が主体となります。
中の人は2018年のGrand National Meetingに参加してきました。以下のカテゴリーに旅行記を記載しています。
〇 コラム - 旅行記 (にげうまメモ)
2022年のGrand National Meetingで予定されているレースは以下の通りです。
*Day1*16
Race | Distance | Total Price (£) | |
---|---|---|---|
1 | Manifesto Novices' Chase (G1) | 2m3f200y | 120,000 |
2 | Anniversary 4YO Juvenile Hurdle (G1) | 2m209y | 110,000 |
3 | Bowl Chase (G1) | 3m210y | 250,000 |
4 | Aintree Hurdle (G1) | 2m4f | 250,000 |
5 | Foxhunters' Open Hunters' Chase (Class2) (National) | 2m5f19y | 50,000 |
6 | Red Rum Handicap Chase (G3) | 1m7f176y | 100,000 |
7 | Nickel Coin Mares' NHF*17 (G2) | 2m209y | 50,000 |
*Day2*18
Race | Distance | Total Price (£) | |
---|---|---|---|
1 | Orrell Park Handicap Hurdle (G3) | 2m4f | 75,000 |
2 | Top Novices' Hurdle (G1) | 2m103y | 100,000 |
3 | Mildmay Novices' Chase (G1) | 3m210y | 120,000 |
4 | Melling Chase (G1) | 2m3f200y | 250,000 |
5 | Topham Chase (G3) (National) | 2m5f19y | 150,000 |
6 | Sefton Novices' Hurdle (G1) | 3m149y | 100,000 |
7 | Lydiate Handicap Hurdle (Class2) | 2m103y | 50,000 |
*Day3*19
Race | Distance | Total Price (£) | |
---|---|---|---|
1 | EFT Construction Handicap Hurdle (G3) | 3m149y | 75,000 |
2 | Mersey Novices' Hurdle (G1) | 2m4f | 100,000 |
3 | Maghull Novices' Chase (G1) | 1m7f176y | 120,000 |
4 | Liverpool Hurdle (G1) | 3m149y | 250,000 |
5 | Betway Handicap Chase (G3) | 3m210y | 100,000 |
6 | Grand National (G3) (National) | 4m2f74y | 1,000,000 |
7 | wetherbys nhstallions,co.uk NHF*20 (G2) | 2m209y | 50,000 |
*1:UPDATE 2-Horse racing-Iconic Grand National axed as sporting cull continues
*3:The BBC Grand National 1966 - Anglo
*4:The Birth of The Grand National: The Real Story
*6:Gatwick競馬場における"Racecourse Association Steeplechase"(1916年)及び"War National Steeplechase"(1917~1918年)と呼ばれる代替競走が行われましたが、これらは通常"Grand National"とはみなされません
*9:An unforgettable renewal of the world's most famous race - FOINAVON wins the 1967 Grand National
*11:Grand Steeple-Chase de Paris
*13:脚注12のØvrevoll競馬場の資料はいつもtwitterでお世話になっている方にご教示頂きました。ありがとうございます!
*14:正確には、Cheltenham競馬場のCross Countryコースにも1つだけ設置されています